優等生で大人しかった私が家庭内暴力して家出少女に順調に落ちぶれていった話

どうも、ベニテングです。

私は運動は苦手でしたがとても頭が良い小学生でしたが、だんだん勉強にやる気をなくしていき、中学生の頃には家庭内暴力がはじまり、家出少女までに転落しました。

最終的にはなんとか大卒まで行きました。

今回は子供の心象を大人になってから振り返りながら書いていきます。

頭がよかった小学生時代

勉強を休んだら「出ていけ」と罵倒される

私が0歳の時に両親が早期離婚し、母・母方の祖母・祖父(今は死んでる)の4人で暮らし、そのうち母と祖父は仕事をし、祖母が私の面倒を見てくれていました。

祖母が私に対する教育方針を握っていて小1で小5の勉強させたり、週に6日にさせられるような詰め込み教育でした。

母親が「子供にそんなに習い事させたらダメじゃない?」と意見したときには「(離婚している身で)私になんか文句あるのか!」と反論されていたようで、特にやりたいわけでもなかった習い事をたくさん習わせられました。

月曜日算盤
火曜日算盤
水曜日パソコン
木曜日算盤/英会話
金曜日算盤
土曜日家庭教師/ピアノ
日曜日休み

私が反発したり勉強をさぼる度に、祖母が機嫌悪くなり、次第に家族全体が険悪なモードになるので、休む暇もあまりなくずっと緊張している状態でした。

そのおかげもあって小学生模試は偏差値70以上で、頑張って続けていれば東大に行けるかもしれないレベルまでの頭が良くなりました。

加えて「懐かなければいけない」という義務

私の意見を聞いてくれない、言った場合に決まってヒステリック祖母が苦手に感じていたのにかからわらず、「勉強しろ」と同時に「子供らしく懐け」と言われていました。

他にも「将来は慶應卒レベルの大学にいって、公務員になること」と常に言い聞かせられてきました。

勉強をして良い成績をとること

祖母の機嫌が悪くならないように懐くこと

母親からも私に対して

「あんな祖母でも大好きにならないと、私たちの住む家なくなるんだからちゃんと振る舞え居なさい」

とよく言われていました

家庭内暴力が始まる中学生

反論できないから行動で

中学生で祖父がいなくなった後は、母と祖母、いい子にしていた私だけが残されました。

私は家庭では大人しく無口なので特に害はありませんでしたが、母と祖母の仲が異常に悪く、罵倒をし合うかもしくは無視をし続けるような関係性でした。

流れ弾で私に対しても無視くるので、たまったもんじゃありません。

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ある日突然、今まで大人しく全て親の言うことを聞いて、家族の通りに演じていたストレスもあってか、家庭内暴力がはじまりました。

たとえば食事中に目の前で罵倒をしはじめてたときには、ご飯を捨てたり、皿を割ってみせたりもしてみました。

当時は自分の意志を話したら反論してくるということがわかっていたので、行動で示して「お前ら黙れ」と伝えたかったんだと思います。

それでも変わらないので家出少女に

それでもあまりよくならなかった家庭環境に耐えきれず、私は家出を半年以上かけてしました。

…なんだかイメージしにくいですよね。

皆さんは新海誠の「天気の子」という作品だとイメージがつきやすいと思います。

あの作品の主人公の高校生の男の子が田舎から東京で家出して、寝泊りできる場所を探して正社員で働いていました。

まさにあんな感じのような環境で中学生でも働けるような仕事をしたりして、置いてくれるような場所を探しました。

結果的に警察に補導されて、強制的に家に戻されました。

警察署に一時期お世話になりました。

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